「人生とblog。歓びと悲しみ。」patraさんへ。 | イージー・ゴーイング 山川健一

「人生とblog。歓びと悲しみ。」patraさんへ。

 ぼくの下の書き込み「文学とblog。どっちも面白いねえ。」にコメントして下さったpatraさんのblogは読んでいたのだが、今夜初めてwebサイト、Patra Ichida At Homeへ行ってみた。1999年に書かれた「森瑶子の思いで 1」から、多くのエッセイがアップされている。江藤淳さんの講義を聞いた時代のことなども記されている。
 http://www.kyo.com/patra/
 そのすべてを読ませていただいたぼくは、感動してしまい、何を書こうか決めないまま、締め切りのある原稿をほったらかしてこうしてマックのキーボードを叩いている。
そもそもぼくは、漠然とだが、patraさんはぼくと同じ年代の方なのだろうと思い込んでいた。だが若い頃から森瑶子さんの友人でもある、既に還暦のお祝いをすまされた人生の先輩であった。
 インターネットは、相手の性別や年齢もわからない。だからそんな過ちを、ぼくはよくおかしてしまう。あんでる泉さんも、あの絵の完成度から勝手に30代半ばだろうと思っていたら、24歳の女性であった。ごめんなさい。
 patraさんは絵を描かれ、スタイリストとしてのお仕事を長くされていた。息子さんが子供の頃交通事故に遭い、仕事を中断して必死で息子さんの看病をされ、彼が中学に入ってからは学校の配慮のない姿勢と戦った……というか唖然とした。
 そういうことの積み重ねの上に、素晴らしい仲間達に還暦をお祝いしてもらう地点に到達した。ロック世代のぼくは「さっさと生きてあっさり死のうぜ」というような人生についての美学を胸の奥底に抱えて生きてきた。幕末の歴史を偏愛するのも、そのせいかもしれない。だがpatraさんのエッセイは、人生とは過酷で、だがかくも美しく、歓びに満ちたものなのだということを教えてくれる。この「イージー・ゴーイング」で、偉そうなことを書いている自分が恥ずかしい…。
 インターネットはあまりにも広大だ。だがごく稀にかもしれないが、こういう宝石を発見することもあるのだ。
 ぼくらはきっと、今後の人生をblogと共に歩んでいくのだろう。ここには歓びと悲しみのどちらもが存在する。

 patraさん、勝手に書いてしまって申し訳ありません。昨日もアメーバブックスの編集部で、「森瑶子さんが生きてらしたらblog頼むんだけどなあ」という話をしたばかりでした。
 生前、作家になってからの森瑶子さんとぼくはそれほど親しいわけではありませんでしたが、作家が集まる座談会やパーティでよくお会いしました。森さんは、年下の男であるぼくをからかうのがお好きでした。そして、酒を飲むのでクルマを置いていくようにしていたぼくを、自宅の方向が同じだったのでよくクルマで送って下さいました。前を見ずに、こちらを向いて話されるので怖かったのを、よく覚えています。

 みなさんも、是非ともPatra Ichida At Homeへ行ってみてください。
 さて、ぼくはこれから仕事をしようと思う。コツコツ原稿を書く。そうした積み重ねが、きっと人生というものなのだろう。