イージー・ゴーイング 山川健一 -3ページ目

「文化領域論 - 山川哲」を紹介します

文化領域論  山川哲

ysatoshi.hatenadiary.jp


弟の山川哲のことを書きます。

僕と弟とは普通の兄弟という感じではなく、昔から彼の方が僕を教え諭すと言うスタンスです。ローリング・ストーンズを先に見つけたのも彼の方だしね。初めてやったバンドでは、僕がボーカルで彼がギターでした。僕が『ルーディーズクラブ』というロック雑誌を創刊すると、彼は「バックステージの愛」というロック小説を連載してくれました。人気連載でした。


子供の頃彼はビー玉の天才で、僕が負けて近所の子供たちにビー玉とられてしまったを見て「あれ、色ビーがない。とられた? 僕が今から取りかえしてしてくる」と言って出かけ、団地が夕闇に包まれる頃本当にビー玉を取り返して帰ってきたものです。「ビー玉やってもいいけど、にいちゃんは色ビーは使わないで」と釘を刺されたのを今でもよく覚えている。


大学で法律を勉強した後就職し、アメリカや中国やスウェーデンに出張し、どうやら疲れ果てたようです。結婚していないので子供の養育費を払う必要もなく、外資系の自動車会社をさっさと早期退職し今はミネルヴァの梟のような生活を送っている。つまり、ロックやジャズを聴き、哲学や文学や文化人類学の本を読み漁っているらしい。たまに会うと、いろいろ説教される。


「日本は大変なことになっているだろう?みんなこのままでは生きてはいけない。アニキも純文学なんかかやっている場合じゃないぞ。ポストモダンなんかじゃなくて児童文学を書け。子供たちの希望こそが今いちばん大切なものだからさ」

……童話は無理だからな。少年小説でもいいか?」

「いいね、少年小説!」


亡き母親の納骨のために九州に行った時に、彼が「俺は3万寄付したぞ。山本太郎さんしかいないって。アニキも早くしろ」と言うので、僕も1万円寄付しました。


山川兄弟は山本太郎さんを断固支持します!


そんな彼は「文化領域論」と言うブログをやっていて、少し難解なところもあるが非常に役立つ情報が掲載されています。僕の友人の皆さんにも是非読んでいただきたいと思い、紹介します。


トップページです。


はてなブログ  文化領域論  - 山川哲

ysatoshi.hatenadiary.jp



「れいわ新選組」に関する記事を3つ程ピックアップしてみました。

 

〇 201956日 政党の立ち位置(その16) れいわ新選組

ysatoshi.hatenadiary.jp/entry/2019/05/06/183718

 

〇 2019522日 れいわの時代の国家主義

ysatoshi.hatenadiary.jp/entry/2019/05/22/190007

 

〇 201962日 開放系の中間集団

ysatoshi.hatenadiary.jp/entry/2019/06/02/211713

 

皆さん、時間のある時に読んでみて下さい!

Rod Stewart - I Was Only Joking

    フェイセズの頃のロッド・スチュワートはじつに良かった。今はストーンズに引き抜かれてしまったロン・ウッドのスライド・ギターをバックに歌うロッドはたまらなくいかがわしくて、素敵だった。『ネバー・ア・ダル・モーメント』というソロ・アルバムが気に入って、毎日のように聴いていた。
 思えば、ロッドぐらいいい加減な男はロック・シーンにも少ないのではないだろうか。歌がうまいのが禍いしているのか、自分のスタイルなんかすぐに放り出して、流行りのロックにとびつく。うまいのはわかるけど、それはないんじゃないのロッド、とぼくは何度思ったことだろう。
 やがて、ぼくはそんなロッドに愛想をつかしてしまった。『アトランティック・クロッシィング』も『ナイト・オン・ザ・タウン』も一応買ったけれど、大して聴きもしなかった。ところが、『明日へのキック・オフ』がリリースされ、このB面を聴いたとき、ぼくはロッドという男を、とても身近に感じ、彼のいい加減さや軽薄さがわかる気がした。結局ミック・ジャガーにもジョン・レノンにもなれなかった男。しかし、ロッドはただの不良少年でありつづけることができた。
 B面の最後の曲、「ただのジョークさ」は絶品だ。この曲はいわば私小説的な歌で、ロッドの本音がこめられている。

    今は静かにページをめくろう
 二十年以上もぼくはコスチュームを
    変えずにやってきたけど
    主人公はもうステージを去るべきなんだ
    観客は誰もぼくを理解してくれなかった
      ( I Was Only Joking/ただのジョークさ)

 あのいい加減な男も、たまにはこんなふうにシリアスに、弱気になることもあるのか、とぼくは思った。意外な気がした。
 同じ時期に彼のインタヴュー記事がなにかの雑誌に載って、その中でロッドは、「ロック・シーンには本当の友達なんか一人もいない」なんて言っていた。
「ただのジョークさ」は、本当にいい曲だ。とても稚拙な言い方で我ながら恥ずかしいが、とにかくいい曲なのだ。この曲を聴いてから、ぼくは彼を信用してもいいと思うようになった。
山川健一デジタル全集 Jacks
「みんな十九歳だった」より


↓画質は良くありませんが、最高のライヴです。ビデオテープで持っているのですが、もうデッキがないからね。これを見る度に、涙がこぼれる…

Rod Stewart - I Was Only Joking - Live 1981

https://m.youtube.com/watch?v=7_EQYS6iBTA

ロッド・スチュワートのラヴソングを巡る物語

「私」物語化計画の講義テキストで今週はロッド・スチュワートの "Every Picture Tells a Story"を扱った。僕が初めて出会った表現論であり、自分自身を形成する哲学がこの曲なのではないかという話を書いた。

その趣旨からは外れてしまうので書かなかったことを、ここに書いて一般公開します。さて、うまく書けるかな?

ロッド・スチュワートのラヴソング"I Don’t Want To Talk About It"のことである。ロッドはもちろん自分自身で多くの優れた楽曲を作詞作曲しているが、埋もれた名曲をカヴァーする才能にも恵まれている。ミック・ジャガーはバンドのフロントマン色が強く、ロッド・スチュワートはミックよりシンガー寄りなのだろう。

ロックという音楽は、「今はここにあり、しかしすぐに通り過ぎていくものだ」と言う価値観に支えられている。ロッド・ スチュワートは、そういう意味でまさにロックそのものを生きてきた人だ。いやいや、今や大地に深く根を張った大樹のように見えるローリング・ストーンズの音楽だって、本質的には「通り過ぎる」人間が支えているのだ。バンドネームも転がる石ころ、だからね。

しかし、ミックがストイックで意志の人で交わした約束は絶対守りそうなのに比べて、ロッドはいい加減で頼りなく思想なんかなく、待ち合わせにだって必ず遅れてきそうだ。ミックががジムで汗を流している時、ロッドは相変わらずワインで酔っているのだろう。

しかし、そういうロッドが歌うからこそ、そのラヴソングは僕らの胸に哀切に響くのだろう。

"I Don’t Want To Talk About It"は、今や"You're In My Heart"などと共にロッドのラヴソングとして有名だが、オリジナルはニール・ヤングのバンド、クレイジー・ホースの初期のギタリストだったダニー・ウィッテンが書いた曲だ。

ダニーは1971年にこの曲を発表し、翌年に29歳の若さでこの世を去った。死因はヘロイン中毒である。ニール・ヤングは当時、彼の早すぎる死を惜しんで「生きていたらどんなに多くの佳曲を書いていただろう」と言っている。

ご存知のように、この曲が広く知られるようになるのは、スコットランド出身のロッド・スチュワートが本格的にアメリカに進出することを決めてリリースしたアルバム"Atlantic Crossing"(1975年)の中でカヴァーしたからだ。

君の目を見れつばわかる
ずっと泣いていたんだろう?
今の君には夜空の星も慰めにはならないね
それはまるで君の心を写したようなものだから
君が僕の心をどんなに傷つけたか
もう話したくないんだ
だけどもう少しだけここにいさせてくれるなら
僕の胸のうちを聞いてくれないか
"I Don’t Want To Talk About It"


この曲を書きすぐにドラッグで死んだダニー・ウィッテン、その名曲を完全に自分の持ち歌にしたロックスターのロッド・スチュワート。このストーリーにもう1人若い女性が加わってくる。

2004年、ロッド・スチュワートはロンドンのロイヤル・アルバートホールで行なわれた、一夜限りのチャリティコンサートのステージに立っていた。ロン・ウッド(ローリング・ストーンズ)や、クリッシー・ハインド(プリテンターズ)などもゲスト出演した由緒正しいそのステージで、ロッドはまったく無名の女性シンガーを紹介した。それがエイミー・ベルで、当時22歳だった。

このライヴをDVDで見た僕は、すっかりこのシンガーの虜になってしまった。黒い髪、細いウェスト、はにかんだ仕草、そして野生の獣みたいな鋭い眼。
「ロッド、誰これ? お前の新しい彼女なわけ?」
実はこのわずか一週間前に、スコットランドの北の町グラスゴーの路上で歌っていた彼女を、同郷のロッドが見出しロンドンに連れて行ったのだそうだ。

シンデレラ・ストーリーになるはずだった。

いや実際に、ロイヤル・アルバートホールのオーディエンスの心を掴んだエイミーはスカウトされ、ロッドと同じようにロスに渡ってソロアルバムをレコーディングするのだが、やがてその消息がわからなくなっていく。

ネットで検索してみると、故郷グラスゴーに戻って、ギターを弾きながら歌うシンガーソングライターのスタイルで、小さなパブやライブハウスで唄い続けているとのことだ。今、37歳かぁ。

あれだけの歌唱力があり、作詞・作曲の才能があり、美しいだけではない意志の強さを感じさせる容姿があり──しかしロックの女神はエイミーには微笑まなかったのだ。時々、僕はふとエイミーのことを思い出し、元気にやっているのかななどと考えるのだ。

人間にとって何が幸福なのか、それは人それぞれだ。だから僕が余計な心配なんかするのは大きなお世話と言うものだろう。だがきっと、あの夜のライブを見た多くの人たちが、僕と同じ気持ちを時々抱くのではないだろうか。ロックはここにあり、やがて通り過ぎていくもの音楽である。あの奇跡のような一夜だって時の向こうへ遠ざかっていく。そう考えながら、今、ロッドと歌う"I Don’t Want To Talk About It"を聴くと、胸に染みる。

ドラッグで死んだダニー・ウィッテンが書き、ロッド・スチュワートが有名にしたラヴソングを、今も時々エイミーが小さなパブなんかで歌っているのかもしれない。

しかし、もう一度あのはにかんだ笑顔を見てみたい。
情感豊かな声を聴いてみたい。

ロッド、ロッド、エイミー・ベルをもう一度引っ張り出してくれないか? あのバラードをデュエットしてほしい。それは彼女の人生に一夜限りとは言え、最も強い光を当てた、あんたの責任だと僕は思うけどね。


https://youtu.be/w46bWxS9IjY?list=RDw46bWxS9IjY

4月15日月曜19時~渋谷にて物語化計画の懇親会

415日月曜19時、僕のの秘密基地、渋谷のロックバー「レノン」でミニ懇親会を開催いたします。ご都合のつく方、ぜひご参加ください。


現在『「私」物語化計画』では実践コース参加者のための個別面談をおこなっております。


せっかくの機会ですので、(コースに関係なく)ご都合のつく方はご一緒にロックバーで語らいませんか?


・参加費:飲食実費割り勘のみ

・当日の飛び込み参加も歓迎

・基礎コースの方、一般のご友人も参加OK


日時:415日月曜19時~ざっくり21時ごろ

会場:Lennon Bar, Shibuya

渋谷区桜ヶ丘町(セルリアンタワー東急ホテル裏手)

http://www.shibuyalennon.com/access-ja/

https://tabelog.com/tokyo/A1303/A130301/13023216/

https://retty.me/area/PRE13/ARE8/SUB803/100000066940/


人数把握のため、ご参加いただけそうな方はこの記事へのコメント、もしくは etcetera@etcetc.jp あてに参加表明をいただけますと幸いです。


費用は飲食実費割り勘のみ、受講料やキャンセル料金などのかからない会です。お気軽にご参加ください!

RUDIE'S CLUB BANDのライヴ、4月26日(金)です。


RCBのライヴやります。ズボンズとのジョイントライヴです。興奮するねぇ。僕が向こうのバンドに入ってギミーシェルターでストーンズやったり、この間はドン松尾とRCBのヨージと3人でアコースティックライブやったりしましたが、バンドでちゃんとジョイントするのは初めての経験です。向こうは若いからねぇ、負けられません。あ、RCBも僕以外は結構若いか(笑。


「健さん大学辞めたんだって? ロックンロールの世界にお帰り!」と言うコンセプトだそうです。


4月26日(金)

場所:THE SHOJIMARU  神田駅北口7

https://fukumarurec.wixsite.com/shojimaru

日時: 426日(金)

OPEN/START 19:00/19:30

出演:

ズボンズ

RUDIE'S CLUB BAND


料金:前売/当日 2,500/3,000円(+ドリンク代)


ウチが先、ズボンズがトリ。最後に2つのバンドが混ざってストーンズやります。ヴォーカル? それはもちろん東京のミック・ジャガーこと私です。


僕は金も才能もないんだが、ロック仲間にだけは恵まれてるんだよね。それだけあれば、人生は最高。


愛の裁きだけはごめん被りたいもんだぜ、OH MY!


先着10名様に、僕らのデビューアルバム、《バックストリート》を差し上げます。部屋に10枚だけ残ってた。


来てね! 

期待は裏切らないよ。


それにしても同じTHE SHOJIMARUで4月11日に山川沙登美の出版パーティ、26日がライヴ。


そういや、THE SHOJIMARUは忌野清志郎さんとタイマーズやってたドラマーの杉山章二丸の店です。4月はよろしく頼みます!

『あの日 勇者だった僕らは』(山川沙登美著 麻野一哉解説)、出版記念パーティ

『あの日 勇者だった僕らは』(山川沙登美著 麻野一哉解説)、出版記念パーティのお知らせです。



4月11日(木曜日)20時〜22時

場所
神田THE SHOJIMARU  
‪https://fukumarurec.wixsite.com/shojimaru‬
東京都千代田区. 神田須田町1-4-6 吉川ビルB1. 

会費 6000円 (飲食付き)

対談
山川沙登美×麻野一哉
麻野一哉 ×中村光一 他ゲスト(司会 山川沙登美)
他、ゲスト多数

総合司会  石澤瑤祠(Rudie's Club Band)

*もちろん一般の皆さんの参加も歓迎いたします。ゲームの過去・現在・未来について、語り合いましょう。

『あの日 勇者だった僕らは』(山川沙登美 著)、本日発売です。


ゲーム業界創成期の若者たちを描いた青春小説『あの日 勇者だった僕らは』(山川沙登美 著)が本日発売になった。

本書の企画がスタートしたのは昨年、山形にある東北芸術工科大学の教員宿舎においてだった。

沙登美は僕の娘ですが、文芸学科の客員教授である越水利江子さん、楠章子さんの夏と冬の集中講義「児童文学・ファンタジー小説」のアシスタントを無給でやらせていた。

一方、文芸学科では、麻野一哉さんに「ゲームシナリオ構築」という集中講義をお願いしていた。夜になると皆でご飯を食べ、教員宿舎でビールを飲むことになる。それが毎年続くので、気心が知れてきて、麻野さんと楠さんの家が近いということもわかり、毎回楽しい夜が続くのだった。

とりわけ麻野一哉さんのゲーム開発の話が面白く「これを長編小説にできたら最高だよね」ということになる。しかし麻野さんはゲーム開発で忙しく(いま思えば「テクテクテクテク」だね)、小説を書いている暇なんかとてもない。山川沙登美は最初の本「麒麟島神記」を幻冬舎文庫で出した後、最初のゲーム会社を辞めてのんびりしていたので、時間があった。

考えてみればゲーム業界の内側がわかっていて小説が書ける人なんてあまりいないよな──じゃあ沙登美が書けということになり、麻野さんへの取材がスタートした。

せっかくだから巻末に、麻野一哉さんにはゲームの世界の解説を、転職活動を始めた山川沙登美にはゲーム業界の「就活ガイド」を書いてもらおうということになり、編集とDTPを文芸学科で編集を教えている野上勇人さんに担当してもらい完成したのが本書です。

野上勇人はFacebookにこう書いた。

「ファミコン全盛のあの頃から今まで、ゲームづくりのために悪戦苦闘する若者の姿が、とても面白く描かれています。ぜひ、お読みください!」

僕は最終のゲラだけ読ませてもらったのだが、個人的な感想を一言。

「文学のことなんか何も教えてないし彼女は父親の小説なんか読んだことはないはずなのに、俺の小説に似てない? とくにドラッグのシーンとか」

それからもう一つ。

僕はコンピュータもゲームもとにかくデジタルなものは大嫌いだった。CDプレイヤーだって、かなり長い間買わなかった。その僕がMacintoshにハマり、いっぱしのゲーマーになれたのは、娘のおかげです。この場を借りて、どうもありがとう──と言いたい。今からではもう無理だが、生まれ変わったら僕もゲームクリエイターになりたいものです!

興味がある方、是非ともお読みください。

「私」物語化計画、3月のスクーリング&懇親会


作家と編集者、作品の読み方の違いを知る
作家:山川健一 ✕ 担当編集者
3月23日土曜夕方、新宿にて開催!

・編集者は応募作品をどう読んでいるのか?
・作家と編集者の作品の読み方の違いとは?

・タイトルの重要性
・新人賞応募原稿の表書きにつける「梗概」(こうがい)の付け方、テクニックとは?

■スクーリング日程
3月23日土曜
開場:16時15分
講義:16時半〜18時半
会場:新宿三丁目貸会議室
 SOBIZGATES
 東京都新宿区新宿5-11-2 SOBLD. 2階
 https://kaigi.kasegroup.co.jp/build/access/c0023870.php
 都営新宿線「新宿三丁目」駅より徒歩1分
 東京メトロ副都心線「新宿三丁目」駅より徒歩1分
 JR山手線「新宿」駅より徒歩5分
スクーリング参加費:6,000円(税込)(会員様は1,000円引き)

★スクーリング後に懇親会開催
19時〜21時に新宿三丁目近隣の飲食店にて懇親会開催
飲み放題・コース料理込み(和食系居酒屋となる見込み)
懇親会参加費:6,000円(税込)(会員様は1,000円引き)

■参加方法
お名前、ご連絡先(メアド/携帯電話番号)、参加人数、スクーリング/懇親会それぞれへの参加の有無を、etcetera@etcetc.jp あてにご連絡ください。返信をもって参加受け付けといたします。

・『「私」物語化計画』非会員の方もご参加いただけます
・スクーリング、懇親会、両方参加/どちらかのみの参加も可能
・スクーリングは当日の飛び込み参加も歓迎いたします
・懇親会は飲食店予約の都合上、当日不参加の場合キャンセル料がかかります


これやるの、毎月楽しみなんだよね。今の僕のいちばんの楽しみ。会員でない人もいらして下さい。お待ちしてます!

東北芸術工科大学、最終講義の概要(2019年2月10日)

「私」を物語化するということ
 山川健一

 
今日は何かについてではなく、ぼく自身についてお話しします。
 
卒業生の懐かしい顔も並んでるね。来てくれてありがとう。皆さんに感謝しています。みんなに愛された8年間でした。
 
最初に驚いたのは、講義を聞いて何人もの女子学生が泣いていたことだよ。マジかよと思った。ヘンリー・ミラーとジューンの話をしたときのことだったと思う。こんなに純真な学生たちの前で講義しなければならないのか、ちゃんとやらないとなと肝に銘じた。
 
今日もそうだけれど、君たちは表情が豊かだよね。笑顔がとても良い。講義している僕の言葉が君達の胸の奥へ染み通っていく感じがよくわかる。芸術平和学でDJ風の講義をしたら、ロックスターみたいだと言ってくれたの男子学生もいたけどね(笑。
 
研究室にはいつも10人から20人もの学生がいて、地下鉄かよって感じ(笑。椅子が足りなくて床に座ってたもんね。あまりに増え過ぎたので1年生から4年生まで曜日を決めることにした。
 
ゼミに入る資格のない2年生が、プレゼミというものをやってくれと言ってきて、定期的に集まっていた。他学科の学生達も集まってきていました。
 
雑談していて、でも僕が文学の話を始めると、皆が話を中断してメモ帳やノートをスッと取り出した。ぼくに講評してもらうために原稿を手渡すその指が小刻みに震えている女子学生もいた。あの研究室で、何人もの学生が泣いた。
 
それだけ君たちが小説を書くことに関して、真剣だったと言うことだよ。可能な限り僕はそれに応えようとした。そういう日々だったね。
 
研究室で話すのは、もちろん文学の事だけではない。恋愛相談を一番たくさん受けた教員ランキングというものがあれば、ぼくは間違いなくベスト3には入るね。
 
大学教授の研究室に、普通学生が恋愛相談に行くかね、とは思ったけど、男子には「アンドレ・ジッドの『狭き門』を読みなさい。愛していると言いながらなぜ 彼女が去ったのかよくわかるよ」とアドバイスし、女子学生には「ヘルマン・ヘッセの『知と愛』を読みなさい。知を断念して愛欲と放浪の生活を送る男子の気持ちがわかるよ」と言って文庫本をプレゼントすることにしてた。
 
ご存知のように僕はいい加減な男で、およそ優れた大学教授とは言い難かった。小説と言う玩具で君達と一緒に本気で遊ぶガキ大将みたいなものだったよね。
 
関係の絶対性、覚えてるよな?
むしろ君達のお陰です。
8年間、ぼくが学生に愛されるヤマケンでいられたのは、君達のおかげだよ。
 
しかし僕は本当は、君達が知っている山川先生ではない。
 
なぜか?
 
それは、ぼくが小説家だからです。
 
胸の中に黒曜石の結晶みたいなものがある。そいつは外側からは見えないけれども、鉱物と同じような確かさでそこにある。
 
一つ小説を書くことは、一つ罪を犯すことだとぼくは思っています。真剣に小説を書くと、大切な誰かを傷つけることになる。しかしそんなことでひるむわけにはいかない。この作品を仕上げることで文学シーンを一歩前に進めるのだ、と自分に言いきかせてきた。
 
芭蕉の「野ざらし紀行」の講義をしたのを覚えてますか? 富士川の川辺で出会った3歳の子供を芭蕉は見殺しにした。
 
「富士川のほとりを行に、三つ計なる捨子の、哀気に泣有。この川の早瀬にかけて、うき世の波をしのぐにたへず、露計の命待間と捨て置けむ。」(野ざらし紀行)。
 
この非情さこそが、俳諧芸術の創造を可能にしたわけだよね。芭蕉はひどい男だと僕は今でも思うが、僕らが小説を書く時にも事情は同じなんだよね。ビビってはいけない。前に進むことだけが大切なのです。
 
僕は美しい湖で泳ぐ白鳥たちの中の一羽の黒鳥であり、豊かな草原に群れる白い羊たちの中の黒い羊だった。
 
高校生の頃、僕の胸の中には空っぽのプールがあった。とても強い衝動、欲望の存在があったからだよね。その衝動とは、海面から空までのめくるめく距離を一挙に浮上したい、と言うようなものです。当時の日記に、僕はこう書いた。
 
「もっとも深く夢見たものが、最も深く罰せられるのだ。それが芸術の掟だった」
 
目の前に花があったら、それを一輪挿しに飾って鑑賞するのではなく、握り潰したいと強く思った。なぜそんな衝動に駆られるのか、自分でも理解不能だった。そんな自分の中の空っぽのプールを豊かな水で一気に満たしてくれたのが、ロックでした。そしてランボーでありバタイユであり、小林秀雄であり中原中也だっ た。
 
ドストエフスキーを読んだときには、これでもう俺には恐れるものは何もないのだと思えた。
 
あなたにも、そういうことはありませんか?
そう感じる時間、あなたは小説家なのです。
 
教員仲間の野上勇人に「山川さんはナラトロジーを講義しているけれども、そんなものを前提に小説を書いたことがあるのか?」と聞かれたことがあります。彼は 20歳も年下のくせに、僕に対する遠慮と言うものが一切ないんだよね。まぁ、それは学生の君達にしても同じだが(笑。
 
ウラジミール・プロップやジョセフ・キャンベル位は読んだ事はあったが、僕が物語論について学ぶようになったのは大学の教員をやることを決めた後のことです。したがって、物語論に沿って書いた小説は「人生の約束」とか、それ以降の数本でしかない。
 
しかし物語論を調べていけばいくほど、これはまさに俺自身のことについて構築されたロジックみたいだなと思った。冒頭に欠落があり、後半に隠された父の発見がある。それはあたかも僕の人生そのものでした。いわば、僕の肉体を流れる血液のようにナラトロジーはあった
 
ナラトロジーに沿って書いたことなどないよ。しかし、ナラトロジーはむしろぼくの小説家としての肉体を血液のように流れている。
 
野上、あの時に何と答えたのか覚えていないが、これが正確な回答だよ。
 
今日からぼくは小説家に戻ります。
 
小説家は常に3つのことを考えている。教えようか?
1つ目はどの本を文庫にしようか、と言うことです。文庫の良いところは、働かないで印税が入ると言うことだね。作家の経済生活上、これはとても重要な問題なんだよね(笑。
 
2つ目は、次のエッセイ集のテーマは何にしようかと言うことです。小説は500枚書いても、全く使えないことがある。しかしエッセイは小説よりはるかにシュアだからね。
 
そして3つ目が、長編小説の事だ。
 
今年の夏、楽天の三木谷浩史社長の評伝「問題児」を幻冬舎で文庫にしてもらいます。エッセイは「般若心経ロック版」というのを書くつもりです。
 
そして長編小説は「黒い翼と少年ジョバンニ」という600枚の書き下ろしを書くことにした。クライムノベルです。
 
以 前書いた「安息の地」は両親が息子を殺害すると言う事件を取材して書いた。「黒い翼」は、息子が両親を殺害した罪に問われ死刑判決を受け、今も死刑に怯え ながら拘置所にいる──という事件を素材に書くつもりなんだよね。実はこの事件の主人公は、僕の高校時代の友人なんだよ。僕が彼であってもおかしくはな かった、なのに自分はこうして学生たちと楽しくやっていて、彼はいつ死刑が執行されるかと怯えながら1人で眠らなければいけない。そういう負い目が、ずっ と僕にはあったのかもしれない。
 
なぜ大変な思いをして、長編小説何か書くのか。それは書きたいという欲望を、抑えることが出来ないからです。
 
しかしともすると、文学と言う想像もできない深い淵に飲み込まれてしまうかもしれない。そんな時は、君たちが僕を引きずり上げて欲しい。今の気楽なヤマケンの場所にまで、引っ張り上げてね(笑。頼むよ!
 
もう既に僕が「私」物語化計画という、作家養成を目的にしたオンラインサロンをスタートしたのを知っている人も多いだろう。Facebookを使ったインタラクティブな「自分探しの旅」と「小説家養成」のための場所です。
 
小説って、実は1人では書けないんだよねね。あの孤独な作業に最後まで1人で挑むなんて無謀すぎる。文学の話ができる「場」が必要で、それが物語化計画です。
 
小説を書きながら、これからは物語化計画に打ち込むつもりです。ライフワークだと思っている。文芸学科の卒業生がもう何人も参加してくれています。皆さん も、ぜひとも参加してください。山形のメンバーが20人を超えたら、僕がここにきてスクーリングもできるからさ。その時に20歳を超えた人は、いよいよ念 願のお酒を一緒に飲めるよ。
 
小さな物語の集積が「私」を作るんだよね。小説と言うものの工学的な側面と、芸術的な側面の両方を理解することで、「私」と言う物語の構造がクリアにわかるようになる。
 
もともと物語は人を癒す力を持っているけれども、ロジックを学べば、それが何よりも有効なセルフヒーリングになる。小説とはその結果生まれるものなんだと僕は思います。
 
最後に「カラマーゾフの兄弟」の話をしよう。
 
あの長い小説にはエピローグがあり、その最後は、亡くなった子供をその友達や、アリョーシャというカラマーゾフ三兄弟の末っ子が埋葬するシーンです。
 
亡くなったイリューシャというその子供の思い出の場所である大きな石のもとに子供達を集めて、アリョーシャはこういう意味のことを言います。
 
「ぼくらは悪い人間になってはいけない。あの子のことを、ぼくらお互いのことを、ずっと覚えていましょう。そうすればぼくらは善良であり、正直でありつづけることができます」と。
 
アリョーシャの言葉を聞いている子供達の目に、涙が溢れてくる。彼はこう続ける。
 
「何か良いことや正しいことをすれば、人生は本当に素晴らしいのです」
 
今日は僕の最終講義にこんなにもたくさんの皆さんが足を運んでくれて、感謝しています。これが今生の別れでは無いのだから、泣くなよ。また会えるから。
 
アリョーシャの言葉を、これからの人生のポイントで思い出してみてほしい。
 
僕らはお互いのことを、ずっと覚えていよう。東北芸術工科大学で共に学んだ日々のことを、忘れないでいよう。そうすれば僕らは善良であり、正直でありつづけることができる。
 
そして正しいことをしよう。そうすれば、人生は本当に素晴らしい。僕は今65歳で、人生とは本当にすばらしいと心から思っている。
 
もう一度、長い間、どうもありがとう。
これで最終講義を終わります。

「私」物語化計画』2019年第1回スクーリング開催

『「私」物語化計画』2019年第1回スクーリング開催
「欲望が物語を創る」〜「コーチングと表現することの意義」

ゲスト:思いこみクリアリングカウンセラー・コーチングのカリスマ、谷口祥子さん
http://bee-hive.biz/profile/

日時:2019年1月26日土曜
   開場16時15分 講義16時半〜18時半
会場:SOBIZGATES D会議室
   JR新宿駅、地下鉄新宿三丁目駅より徒歩数分

開講時のキックオフパーティーに続き、第一回となるスクーリングを開催いたします。

第一部:山川健一による講義に続き、コーチングのカリスマであり『「私」物語化計画』の受講生でもある谷口祥子さんをゲストにお招きし、対談形式での第二部も開催いたします。より深く学ぶための質疑応答の時間も設けております。

また、19時半よりJR新宿駅〜新宿三丁目周辺の飲食店にて懇親会も開催いたします。山川健一とゲスト谷口祥子さんはもちろん、会員同士の交流の場としてお楽しみください。

スクーリング・懇親会ともに、会員外の方のご参加も受け付けます。奮ってご参加ください!

■会場
SOBIZGATES D会議室
都営新宿線「新宿三丁目」駅C7出口から徒歩1分
JR山手線新宿駅より徒歩5分
https://kaigi.kasegroup.co.jp/build/access/c0023870.php

■タイムスケジュール
16時15分 開場 
16時半〜  第一部 「欲望が物語を創る」山川健一
(休憩)
17時半〜  第二部 「コーチングと表現することの意義」谷口祥子✕山川健一
18時15分〜 質疑応答 
18時45分 閉会 
19時半〜  懇親会

■参加費
スクーリング受講料(一部・二部通して両方にご参加いただけます)
・『「私」物語化計画』会員価格:5,000円(税込)
・非会員:6,000円(税込)

懇親会参加費
・スクーリング受講者:5,000円(税込)
・懇親会のみに参加の方:6,000円(税込)

■申し込み方法
etcetera@etcetc.jpあてに、お名前、スクーリング/懇親会それぞれの参加希望内容をご連絡ください(ご返信をお送りしますので必ずご確認ください)。