イージー・ゴーイング 山川健一 -4ページ目

11月24の土曜日に、渋谷のレノンでパーティをやります


1124の土曜日に、渋谷のレノンでパーティをやります。オンラインサロンを始めたんだが、そのキックオフのパーティです。


作家養成のためとサロンなんだけど、別に小説なんか書かなくても勉強になります。興味がある方はとりあえず基礎コースに入会して下さい。月額1240円ぽっきりです。


「自分探しの旅」「プロ作家デビュー」を目的としたオンラインサロン"「私」物語化計画"の開講を記念してのKICK OFF PARTY


1124日土曜19時から。

渋谷のロックバー、レノン

https://www.google.co.jp/amp/s/amp.retty.me/r/100000066940/


会員・学生:4,000円/非会員:5,000


お待ちしております。

「私」物語化計画"の参加申し込みの受け付け開始!

"「私」物語化計画"の参加申し込みの受け付けを、たった今スタートしました。


それから、1124日土曜19時から、開講記念KICK OFF PARTYを渋谷のロックバー、レノンでやります。非会員の方でもOKなので、ご友人もお誘い合わせのうえご参加ください。



「やっと募集開始!サロンとパーティーの情報はここ。


『「私」物語化計画』Webサイト

https://yamakawa.etcetc.jp


「オンラインサロン」のお知らせはここ。

https://yamakawa.etcetc.jp/onlinesalon


11/24のパーティ募集受け付け開始」はここ。パーティ申し込みフォームを用意しましたが、もちろん申し込みなしでもOKです。

https://yamakawa.etcetc.jp/kickoffparty


サロンとパーティーの参加申し込みフォームへのリンクです。(サロンやパーティーの内容、詳細をすっとばして直接フォームへ行きたい人向けです)

https://yamakawa.etcetc.jp/nov16th


とりあえず、乱暴な告知ですみません。

たった今出来たばかりで、早くお知らせしたいと思いながら、ぼくは眠いので

近日中に、エッセイスタイルで、このサロンで何をやろうとしているのか、小説家志望でなくても参加出来るのか、申し込みはどうするのか、もっとわかりやすく説明します。

カムパネルラと孤独なジョバンニ


新幹線が米沢を過ぎ、ぼくは宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』について考えている。孤独な少年ジョバンニが、友人カムパネルラと銀河鉄道の旅をする童話だが、これはもちろん死の国へ向かう鉄道ということだろう。


作中にクルミの化石を拾うエピソードがあるが、東北芸術工科大学の宿舎の近くの川辺にもクルミがあって秋には実が落ちる。クルミの実を見る度にこの童話を思い出す。


天上と言われるサウザンクロス(南十字)で、大半の乗客たちは降りてしまうが、ジョバンニとカムパネルラは残される。二人は「ほんとうのみんなのさいわい」のために共に歩もうと誓うのだが、車窓に現れた石炭袋見て恐怖に襲われる。ジョバンニはカムパネルラをはげますのだが、カムパネルラは「あすこにいるの僕のお母さんだよ」と言い、いつの間にかいなくなってしまうのだ。


一人丘の上で目覚めたジョバンニは町へ向かうが、「こどもが水へ落ちた」ことを知らされる。川に落ちたザネリを救ったカムパネルラが溺れて行方不明になったのだった。


ぼくらは普通ジョバンニの視点でこの作品を読むだろう。行方不明のカムパネルラ、失われたカムパネルラ、死の国へ旅立ってしまったカムパネルラを探し求める。


だが、ぼくはこの頃思うのだ。自分の方がカムパネルラなのかもしれない、と。


誰か大切な人にとって、自分の方が行方不明になってしまっているのかもしれない。銀河鉄道の車窓を見ているその大切なジョバンニの背中を探し出し、繋ぎ止めなければならないのではないだろうか。東北の冷えた空気は、そんなことを考えさせる。福島駅に着いたよ。 


(9月15日のツイッターより転載)

"「私」物語化計画"のサイトオープンしました


11月から"「私」物語化計画"という、作家養成を目的としたオンラインサロンをスタートします。Facebookグループを活用し、ぼくの講義を中心にさまざまな課題や教材に取り組み、各地でのセミナー、交流会も開催します。


ぼくだけではなく、プロの文芸編集者達がサポートします。まず「私」の構造を明らかにするとこから始めるので、作家志望の方ばかりではなく、セルフヒーリングの役にも立つはずです。


サイトオープンしました。

https://yamakawa.etcetc.jp


今なら「基礎コース」は月額1240円。支払い方法はクレジットカードと銀行振り込み。コンビニでも払えるよう、調整中です。


みなさんの参加を待ってます。


山川健一


"「私」物語化計画"のためのプロモーションムービーです。2分半。ぼくの仕事部屋で今日(10月18日)撮影しました。BGMはぼくが作詞・作曲・Vocalを担当した"Walkin'"。久しぶりに聴いたけど、我ながらいい楽曲だよなぁ‥といつもながらの自画自賛。


https://youtu.be/MfP0VLMovVQ


東北芸術工科大学を退職します。

今日学生達に報告したのですが、今期限り、来年の3月をもって東北芸術工科大学を退職します。理由はシンプルで、定年だからです。ゼミや2年生のケアが中途半端だったり、オープンキャンパス等で会った高校生達の中にはぼくに会えることを楽しみにしている人達もいるだろうことから、出来ればもう1年やりたかったのですが、定年を延長する方法がありませんでた。ま、大学の規則だからね。


怒ったり泣いたりしている学生もいましたが、ごめん。皆さんには感謝しています。


「文芸学科構想」という書類を書き文科省と交渉を重ねたのが2010年。何とか開講にこぎ着けられると思ったら東日本大震災に見舞われ、ぼくらの最初の仕事は、入学予定者の安否確認でした。昨日まで高校生だった新入生は家屋の損壊などの物理的な被害だけではなく、肉親や友人を失った精神面でのダメージも大きく、小説の構造を講義しながらぼくが感じていたのは「発語の不可能性」ということでした。準備していた講義メモが全部吹っ飛んだのでした。ちなみに、千葉県の湾岸にあるぼくの家も全壊でした。


あれから8年。長い年月だけれども、一瞬の夢ような時間だった気もしています。もちろん楽しいことばかりではありませんでしたが、「教授」「学科長」という慣れない仕事をぼくは概ね楽しむことができました。文芸学科の学生達、教員仲間達、保護者の皆さんや職員の方々に、心より感謝します。


大学関係ばかりではなく、8年間ぼくを支えてくれた人達がいます。苦しい想いは、むしろ大学の外側にいるそんな友人達によって和らぎました。ありがとうございました。


ここでぼくが書くことではないかもしれませんが、同僚の川西蘭教授も今期限りで退職されることになりました。いろいろ話し合ったのですが「じゃあ一緒に東京に帰ろうか。小説を書こう。俺達は小説家だもんな」ということになりました。文芸学科の教員で小説家はぼくと川西さんの2名だけなのですが、2019年4月からはまったく新しい学科がスタートするはずです。


ぼくは東京で作家育成を目的としたオンラインサロン、"「私」物語化計画" をスタートする予定です。「スクーリングと言うかオフ会もやるからさ。川西さんも来てよ」「いいよ」というような話をしています。準備段階の2010年からなら9年間、必死に力を合わせたり大喧嘩したり、ぼくらはずっと一緒だった。川西さん、長期間大変なことに付き合わせてごめん、どうもありがとう! 当たり前の話だけど、川西蘭の存在がなければ文芸学科の存在はなかった。


文芸学科の顧問は幻冬舎の見城徹社長で、ま、ぼくの兄貴と言うか後見人みたいな方なのですが、ぼくの退職と同時に顧問職から解放されることになります。お会いしたり電話したり、実質的な顧問として実は度々アドバイスを頂いてました。見城さん、ありがとうございました。帰京しますので今度は東京でよろしくお願いします。


俳優の佐藤浩市さんには文芸学科の客員教授に就任していただき、その特別講義は非常に人気が高かったのですが、やはり来年の3月までということにさせていただきました。ほんと、無理なお願いを快く引き受けて下さり、感謝しています。


文芸学科の教員だけではなく、神宮外苑に京都造形芸術大学と共通の出版局「藝術学舎出版」を設立し、ぼくは設立時から編集長をつとめてきましたが、こちらは継続します。筆者やデザイナーの皆さん、何も変わりませんので引き続きよろしくお願いします。


ぼくの研究室には授業が終わると学生達が押しかけ、多い時には20人ぐらい来るので、今は曜日によって学年を指定しています。「火曜日は1年生、水曜日の17時以降は2年生な」という具合です。3月までは今まで通り研究室は解放するので、また来てもいいよ。ただし、もう怒ったり泣いたりしちゃダメだよ。FGOだけではなく、むしろぼくの方が皆んなから教わることが多かった気がする。君達は柔らかく、澄んでいて、優しかった。それはぼくが既に失った気質だよ。ぼくが去った後も、今の君達のままでいて欲しい。


しかし、セックス・ドラッグ&ロックンロールのこのぼくが、定年まで教員やるとは夢にも思わなかった。それが本音かな。人生には稀に、思いがけない素晴らしいことが起こるものだ。時々男子学生がコンサートを見に行って楽屋で会った外部の著名なロック・ミュージシャンや、ストーンズファンの自分のお父さんなどに「ヤマケンは昔はほんとに悪い奴だったんだよ。大学教授? 丸くなったもんだよな」などと言われたと報告に来ます。もちろん、ぼくは決して「悪い奴」ではなかったはずですが、退職したらロックライクな懐かしい場所に帰るつもりです。


もう一度。皆さん、感謝します。

ありがとうございました。


KEEP ON ROLLNG !


山川健一

早稲田大学エクステンションセンターで、今年もロックの講義します。

今年も早稲田大学エクステンションセンター、八丁堀校でロックを巡る講義を行います。昨年とは別の内容の講義なので、去年いらした皆さんも是非ともご参加ください!

昨年はたしか10人ぐらいの小規模のメンバーだったので、みんなで打ち上げにビールを飲みに行ったりして楽しかった。今年も多分そんなに大人数にはならないと思うので、できれば打ち上げやりましょう。そうそう、去年は最初の授業の時に皆さんに自己紹介してもらったら、それが不評だったみたいなので、今年はやりません(笑)。

「私」ロック化計画―「ブリティッシュ・ロックへの旅」編
https://www.wuext.waseda.jp/course/detail/43456/

 

講義概要
ロックという音楽の輪郭を、理念的な面、歴史的な面、技術的な面、それぞれからつかむことを目的とする。それには「私」という存在を明確化することが不可避である。「ロックしようぜ」という言説は「私自身であり続けよう」という意味なのである。他の文化の流れと緊密に結びついたロックという表現の構造と力学について知り、それらの「知」を自らの日々に生かすことができるようになる。「ブリティッシュ・ロックへの旅」編では特に、1960年代末から70年代のロンドン──スウィンギング・ロンドンに光を当てる。

 

1     09/28 ビートルズ―ジョンのアートカレッジの窓の向こうは、ポールの学校だった。エリック・クラプトン―小雨の降るなか、僕はクラプトンの母、パトリシアに電話をかけた。

2     10/05 ザ・フー―ザ・フーを巡る旅で、朽ちかけた桟橋に辿りついた。ザ・フェイセズ―真っ赤な2階建てのバスに、ロニー・レインのポスターを貼ってお別れした。

3     10/12 ローリング・ストーンズ―ミックとキースが出会ったダートフォードの駅には、明るい陽光が降りそそいでいた。ブライアン・ジョーンズ―『くまの プーさん』のA・A・ ミルンが住んでいた家のプールで、ブライアンは逝った。

4     10/19 ピンク・フロイド―ぼくらはくる年もくる年も、同じ金魚鉢の中を彷徨う、失われたふたつの魂なのさ。デビッド・ボウイ―レガスタート文書コピー店でアルバイトをしていたボウイは、よくOL達に煙草をせびった。

 

 

金曜日 
19:00〜20:30
日程    全4回 ・09月28日 〜 10月19日
(09/28, 10/05, 10/12, 10/19 )

 

 

会員価格受講料  ¥11,664
ビジター価格受講料  ¥13,413

申し込みページはこちらです。

 

※早稲田大学エクステンションセンターは“Extension”(=拡張、開放)の意味するとおり、早稲田大学の研究・教育機能を広く社会に開放するための機関です。誰でも参加できます。

 

 

 

 

 

国破れて山河あり

3.11以降、さまざまな事がドラスティックに変わってしまった。原発事故が今も継続しているのだという事実が、暗く低く重たい空のようにぼくらの頭上を圧している。それがぼくら全員のベースなのだ。


経済状況は悪化している。アベノミクスの成果が上がっているといくら政府に言われようと、学生達の就活支援をする教員の肌感覚として、先行きの見えない不安を多くの人々が抱えている。なんとか職にありついた卒業生が、職場でハラスメントを受け死んでしまたいと何人も連絡してくる。


若い人達ばかりではなく、定年を控える年代層だって、事実上破綻している年金制度を目の当たりにして、病気になったらアウトだよなと思っている(つまり、それがぼく自身である)。老齢や病を抱えた人達は、息も絶え絶えだろう。


未来が明るいと思えないから、非婚率が上昇し少子化傾向に歯止めがかからない。だが単身で生きるのも、それはそれで不安を抱えることになっているのだろうと思う。結婚は1人では出来ないところが厄介だ。


人間は皆、壊れ物(YES)として生きている。傷を負っているという意味だ。その傷は、じつは1人では癒せない。だが、この不可解な「私」というものを理解してくれる誰かは、なかなか見つからない。ぼくにしたってそうだ。


学生達の前では先生面をして、何の悩みもない大人のフリをして来たが、とんでもない。苦しいことばかりだ。そこへ、追い討ちをかけるように台風や地震などの災害が襲ってくる。一つの災害を復興する前に、次の災害がやってくる。ボランティアに頼るのではもう無理だ。


今なんとかしないと、決してオーバーではなく、国破れて山河ありということになりかねない。ぼくらに出来ることは、それぞれが生活の基盤をしっかりさせること、そのために誰かと助け合うことだ。友情や愛情や誰かを想う気持ちまでが荒廃してしまったとは思いたくないからね。

誰もが納得できる安息の正義はない。

今夜は自分に課した禁を破って、個人的な事柄を忘備録的に記しておこうと思う。義理の母が亡くなった。一昨日のことだ。思いのほか深い喪失感の中に、ぼくはいる。山形に来てから父親が死に、夏木陽介が逝き、義理の母が亡くなった。他にも別れはあった。年齢を重ねるというのは、喪失感を重ねることでもあるのだろう。

 

 

夜が過ぎていくのが、カタツムリが刃の上を這っていくように遅く感じられる時、ぼくはゲームに向かう。それが、他のものに代え難い癒しになるからだ。今は、学生達に勧めてもらったFate/Grand Orderをやっている。

 

さっき、ゲームに登場するジェロニモという人物のこんな台詞にぶつかり、ぼくはiPhoneの画面を凝視してしまった。そして、メモを取ったわけだ。

 

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「この大地は厳しい場所だ。誰もが納得できる安息の正義はない。戦って勝ち取ることでしか、正義は得られない。その手段が刀であれ、魔法であれ、言葉であれ」(ジェロニモ/FGO

 

 

深い台詞だと思う。「言葉であれ」という1行が凄い。FGOのシナリオは、やっぱり素晴らしい。

 

刀や魔法や言葉で勝ち取る正義には、2種類ある。倫理的な正義と文学的な正義だ。裏切ってはいけないとか盗んではいけないとか殺してはいけないというのが倫理的な正義である。聖書にでも書いてありそうな、誰にも否定できない正義だ。しかしそれとは別の、文学とでも言うしかない正義も、この地上には存在するのだ。だから人生は厄介なのだろう。

 

裏切るしかなかった、盗むしかなかった、殺すしかなかった。そういう正義に向けて、文学やゲームや映画は、つまり物語は構築されていく。読む者は、そこに生まれるイノセンスに感動するのではないだろうか。

 

いろいろなことを、考える。考えなくていいことまで考える。堀川正美の詩を思い出す。

 

ちからをふるいおこしてエゴをささえ

おとろえていくことにあらがい

生きものの感受性をふかめてゆき

ぬれしぶく残酷と悲哀をみたすしかない。

だがどんな海へむかっているのか。

(新鮮で苦しみ多い日々/堀川正美)

 

豊かだと思っていた海が失われていると感じられる時、両腕を広げて、ぼくはどんな言葉を紡げば良かったのだろうか。お母さんはいま、その海へ帰ろうとしているのだろう。

 

いつもの癖で「ミック・ジャガーなら?」と考える。ミックならきっとこう言うだろう。「キース、表に出て、なにか新しいことを始めようぜ」と。そうだな、それしかないな。ぼくもそうしよう。そのためのプランを立てないとな!

 

毎晩、課題でもないのに長い散文詩をメールしてくれる女子学生がいる。文芸学科の1年生だ。非常に優れた詩的言語の塊を寝る前にベッドで読むのが、日課になっている。優歌、ぼくはこの間話した通りもう詩は書けないんだが、その代わりにこんなツイートをしたよ。どうかな? おやすみなさい。

 

Fate/Grand Order

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誕生日が来て、学生達や友人達にたくさんプレゼントもらったとツイートし、その中でゲームのFGOについて触れたらたくさんのメッセージを頂きました。「えっ、FATEやってるんですか?」という唖然とした声がいちばん多かったと思いますが。

ちょうど1年前の今頃、1年生がたくさん研究室に来ていて、1人の女子学生がぼくのiPhoneにFate/Grand Orderというゲームアプリをインストールしてくれたんだよね。それ以来ハマってます。

ぼくは実は結構なゲーマーで、ドラクエとファイナルファンタジー は全タイトル全クリアで、他にも色々やりましたが、FATEは今のぼくにとってはFF7を超える最高傑作です。素晴らしいゲームだと思います。学生達がこれだけ熱くなるわけです。

スケールが大きく、透明な悲しみが深く、でも「たかがゲームじゃん!」というストーンズみたいな冗談もあり、飽きさせない。若いスタッフが作っているのだろう思いますが、勢いと完成度が高いレベルで両立されてます。

誕生日のお祝いにエミヤの赤ワインもらった。嬉しいです。手前にあるのはアルトリアモデルの腕時計で、限定生産でシリアルナンバーが入ってます。針が聖剣エクスカリバーね。あとは、ナポレオン引きたいなぁ。

 

 

 

山川健一塾を準備しています。

ネット上のオンラインカフェである「山川健一塾」(仮称)を今秋オープンすべく、準備しています。名前がちょっとなぁとぼくは思っているのだが、スタッフは「わかりやすいのが一番です」と言っている。

山川健一塾というのは、作家デビューを目指す人達のためのネット上のカフェであり、学校だ。2コース用意する予定です。

初級コース 「私」物語化計画
上級コース  作家へのロードマップ


初級コースではナラトロジー(物語論)を学ぶことを通して、文学や映画やアニメ、さらに言えば「私」の構造を明らかにします。

すべての物語は何かが「欠落」していることを前提に始まり、主人公は嫌々旅立ちます。物語とは主人公の少年や少女が大人になる過程を描くもので、子供は皆嫌々大人になるのです。

いくつかのイニシエーションを経て、主人公は妖精的な存在から「隠された父」n見すお存在を知らされることになる。『スターウォーズ』なら、主人公のルークがヨーダに「ダースベイダーがお前の父親だ」と聞かされるようなものです。

この父を殺すのがドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』であり、父を許すのがトルストイの『初恋』であり、多くの現代文学は自分自身の中に「父」を確立します。

じつは、深い謎に包まれた最大の物語とは「私」なのではないかとぼくは思っています。「私」ほど不可解な、しかし重要な存在はない。ナラトロジー(物語論)と呼ばれるロジックをアレンジして「私」を対象化すること。それが、「私」物語化計画です。これが達成できれば、非常に有効なセルフヒーリングになるはずです。さらに、映画や小説といった作品を立体的に深く理解できるようになる。

それが、作家への第一歩なのです。

上級コースの「作家へのロードマップ」は、最初はぼくが「絶対に告白してはいけない相手に告白するシーン」を400w × 5枚で書きなさい、というような課題を出します。そして最終的には出版社に持ち込んだり各種新人賞に応募できる作品を書いてもらいます。それを、数名(5人程度)のプロの編集者が分担して赤入れします。一流の編集者やを揃えます。もちろん、可能な限りぼくも赤入れします。定員は赤入れする作業の限界があるので、100名程度を考えています。

作家デビューを達成すれば卒業ということになりますが、別に卒業せずにずっといてもいいし、既にどこかの新人賞を取るなりして作家デビューしている人でも、別の編集者や視点からアドバイスしてほしいという要望があれば参加してもらってまったくかまいません。海外の大学の大学院にはじつはそういう人が多いのです。

ネットカフェですが、2、3カ」月に1度ほどのスパンでスクーリングをやります。講義の後はパーティーにしたいと思ってます。

受講料はまだ未定ですが、可能な限り安価にしたいと思っています。詳細が決まりましたら、またここでお知らせします。